ひげ所長のひとりごとArchives

2024年11月 November

先月、事務所の研修旅行で山口県へ行って参りました。
私自身山口県を過去一度も訪問したことがなく、以前山口銀行さんとお付き合いがあって話をお聞きしていたので一度はと考えていました。
山口県は皆さんご承知の通り、かつて長州藩があり薩摩と組んで江戸幕府を崩壊させ明治維新の原動力になりました。しかも歴代総理大臣101代、65人の内なんと9人(菅直人さんも宇部出身なのでカウントします)が山口県出身です。初代伊藤博文から始まり、岸信介・佐藤栄作・安倍晋三は記憶に新しいところです。余談ですが一県当たりの首相輩出人数は1.38人。歴代首相の内、山口県出身者の占める割合は13.8%。偶然の数字ですが私が発見しました(笑)。
何故断トツに多いかと考えるに、当然のことながら一泊二日の滞在でわかるはずもなく、言えるとすれば吉田松陰の松下村塾や明倫館に代表されるように教育の賜物でしょうか。しかし、戦前の5人の首相はいずれも長州藩士あがりの身であり、戦後の岸さんと佐藤さんは兄弟、岸さんの孫が安倍さんであるということを考えると、実力はもちろん必要でしょうが「縁」の力学が働いたのかなと…。かねてより私は「縁」を大切にしてきました。皆さんも大切にしてください。
話を本題に戻します。
今般の旅行にはもう2つの目的がありました。
一つ目は大学4年生 林凜の内定式。もう一つは長濱宏行の送別会です。林は私の弟の店でアルバイトしていたところをスカウトしてきました(笑)。2年近くSGAでインターンしています。昨今大手企業では10月1日に内定式なるものを行っているらしいのでSGAでも。来年4月からの活躍に期待しています。
長濱は約25年間SGAに貢献してくれました。昨年に独立したいと言ってきた時には、幾度か思いとどまるよう説得しましたが、彼の気持ちは揺るぎませんでした(彼の入社後まもなくの結婚披露宴で挨拶したのがつい昨日のようです)。独立する以上は、ある意味SGAを超える長濱事務所を作り上げてもらいたいものです。
今までにかなりの数のSGA OB会計事務所が生まれていますが、その活躍を耳にするにつけ、私自身彼等にはまだまだ負けられないという闘争心が湧いてきます。これが私の活力の源となっています(笑)。長濱かかってこい!

2024年10月 October

後楽園ホールは格闘技の聖地と言われています。
遠い昔にプロレスのジャイアント馬場やキックの鬼と言われた沢村忠がファンを熱狂させていました。プロボクシングの試合中継もテレビでよくやっていましたね。「ここ後楽園ホールのリングサイドから中継を行っております。」当時アナウンサーのお決まりのフレーズ。
先日、この聖地で全日本キックボクシング協会初代スーパーフェザー級タイトルマッチが開催されました。リングに上がったのは瀬川琉。私の妻の姪の息子です。2年ほど前から陰ながら応援していました。
昨年8月、相手選手からの打撃で試合後肝臓から出血し入院、手術。再出血の恐れがある為「1年間の運動禁止」と医師から言い渡されていました。彼に対してメールで「人間万事塞翁が馬(これ私の座右の銘です)今の職場でチャンピオンを目指せばいい」と伝えました。次また試合に出て、肝臓をやられるようなことがあったら選手生命どころか命まで失いかねないことは誰でもわかる話です。てっきりキックボクシングは諦めたと思っていました。
タイトルマッチをやるからぜひ応援に来て欲しいというメールがきたのは今年の7月後半のことでした。
「うそっ!死ぬぞ!!」
9月6日の試合当日、入場してくる彼の姿を見て、思わず目頭が熱くなりました。よくぞここまで傷の回復だけでも並大抵ではないのにタイトルマッチとは…。全身入れ墨だらけで自信に満ちた強面の対戦相手を見て、勝ち負けよりともかく無事でいてくれと祈るばかりでした(汗)。
終わってみれば5RKO勝ち。初代チャンピオンに輝きました。狐につままれた気分です。チャンピオンになったらきっぱりキックボクシングをやめるから続けてさせて欲しいと体を心配する周りには言っていたそうですが、試合後には他団体との統一戦をやりたいと言い出す始末。
一生に一度の人生。自分自身生命をかけてまで何事かに取り組んだことがあっただろうかと振り返った時、不意に寂しさを感じ、26歳の青年がやけに眩しく見えました。試合後一緒に焼肉店に行ったのですが、驚いたことに彼は肉を食べるのではなく吞んでいました(笑)。減量した試合後ということもあるのでしょうか。思わず私の眼は次々と肉が吸い込まれていく彼の口元に釘付けになりました(笑)。

2024年9月 September

先日、SGA恒例の「暑気払い」を開催いたしました。
今から遡ること40余年前のこと。
8月初旬の税理士試験直前、一人で自宅にこもって勉強していると無性に仲間と酒盛りしたくなるんです。それがモチベーションになって頑張るみたいな(笑)。そんな私の経験からSGAでは税理士試験が終わる頃、受験組とその間の事務所留守番組の慰労会をやることにしたのが「暑気払い」の始まりです。
当初は五日市方面の河原でバーベキューが定番でしたが、人数が増えてくるにつれ困難に。もちろんこれまでには屋形船やビアガーデンとかも。冷房のよく効いたレストランで美味しい食事をするのが手っ取り早くていいのですが、その程度では幹事が何を言われるやら…(笑)。そんなこともあって、ここしばらくは合わせ技一本が主流になっています。展望はとバス・水陸両用バス・ミュージカルを楽しんだ後に美味しい食事、なんて具合です。
今年は歌舞伎町にあるビルの地下劇場での大衆演劇とそのビル屋上でのバーベキュー。どう考えても期待薄ですよね(幹事には内緒ですよ…笑)。バーベキュー会場はビルの屋上で、天井はあいているものの、周りは壁なので風が通らず暑気を払うどころかまとわりついて暑いの熱いの。無理があったみたいです(苦笑)。でも味はなかなかでしたよ。
一方大衆演劇はというと、逆の意味で見事に裏切られました。子供の頃、母親に連れられて宝塚歌劇は何回か観に行ったことがあり、星組トップの上月晃に憧れ、結婚するなら宝塚の人と決めていました。ませていましたね(苦笑)。随分と大人になってからはオペラかミュージカル。ただどういうわけか、歌舞伎や大衆演劇には縁がなかったです。大衆演劇といっても梅沢富美男や早乙女太一のような人気役者もいるわけであなどれないなと思っていましたが。
当日の出し物の一つが「梅川忠兵衛」。近松門左衛門の浄瑠璃です。恋に溺れた男が為替の大金に手を付け、落ち行く先があの世と分かっていながら、追手から逃れようと抗う悲劇です。コテコテなのに不覚にも涙が…。オペラではヴェルディの「椿姫」はじめ悲劇が多く、ミュージカルでも「オペラ座の怪人」など悲劇ものがありますが、ほろりとくるまでは。やはり大衆演劇は日本の文化なのでしょうか。そういえば「おひねり」も立派な日本の伝統的な文化だと思います。演者との距離感、独特のコミュニケーション(そういえばゲストでクライアントのAさんはどさくさに紛れて演者に抱きついてたなぁ)。30枚用意したおひねりが気が付いたらあっという間に無くなっていました。これも今流行りの「推し活」といえるのでしょうか(笑)。
楽しかったぁ。皆様も是非一度!

2024年8月 August

先日、高校の同期会が吉祥寺のホテルでありました。
私は都立三鷹高校の第20期生。
入学当時、学校群制度の下、都立武蔵高校と共に74群を形成していて、72群に次いで多摩地域NO2の高校でした(ちょい自慢笑)。1クラス50名で8組、400名の仲間がいました。2年上の学年は11組までありましたので、さらに上の団塊の世代はもっと多かったと思います。最近のクラス編成を聞いたりしていると驚くほどの少人数で、少子化対策は待ったなしだということがよくわかります。
同期会の話に戻しますね。
参加者は66名。北海道からの参加者もいました。5年前にも同期会がありましたが、卒業以来初めてという人もそれなりの数いて。即、誰それとわかる人がいる一方、面影が全くと言っていいほど残っていない人もいるわけで…。考えてみれば、卒業後半世紀も経てば姿形が変わっていても当然といえば当然ですよね。
ところで、当日H君が10分弱のビデオを作ってくれてました。当時のヒット曲メドレーに乗せて映像が流れ出すと、騒がしかった場内が一瞬にして静まりかえり、蘇った高校生活の一コマ一コマを皆食い入るように見つめます。タイムスリップしたかのような妙な気持ちにおそわれました。H君は電通にいた頃、国内外200超の広告賞を取ったクリエイティブディレクターでした。流石です。
この制作にあたり、私も当時の写真の提供を彼から求められました。その中に自分でも「イケてるな」という一枚がありました。これを早速事務所に持っていき、何人かに見せたところ
「誰ですか?」
「見りゃわかるだろうよ」
「全然見当がつきません」
「俺だよっ!俺!」
「ぎょえー!」
自分も例外ではなく姿形が変わっていることに気付かされた瞬間でした(苦笑)。
人生は100年時代といわれています。
運が良ければ、あと20~30年生きられるかもしれません。運の最大化を図るのも、不運の最小化を図るのも全て自分次第です。SGAクライアントだったアントニオ猪木さんではないですが「元気があれば何でもできる!」ということで、元気を出して充実した日々を送りたいものです。
とは言ってみたものの、前回の同期会の帰り道「じゃ、また次回ね」と手を振って別れたS君は今はもういません。

2024年7月 July

ある日曜日の午後、ザ・ノンフィクション「私のママが決めたこと~命と向きあった家族の記録~」が放映されていました。コーヒーを飲みながら気楽に観るような内容ではなさそうでしたので、その時は録画するにとどめました。
内容は、母(44才)が悪性度の高いガンを患い再発を繰り返す中で、日本では合法化されていない安楽死をスイスで行うというもの。脳にまで転移し、耐えがたい痛みで苦しんでいる姿を家族(夫・高3長女・小6次女)に見せたくもないし、暴言を吐いたり、暴力を振るったりするようになるかもしれないと安楽死を決断します。誰にだって、たとえまもなく死ぬとわかっていても一日でも生きながらえたい、最愛の家族とは一分一秒でも一緒にいたいという気持ちがあるのは当然です。全くの憶測ですが、彼女が育ってきた家庭環境は恵まれたものではなく、それゆえ今の家族を大事に思う気持ちは人一番強いからこそ、逆に最期は明るく別れたいと決断できたのではないかと…。
母の決断に対して、2人の娘や夫は頭では理解できたとしても受け入れ難いものでしょう。親や配偶者がどれほど不治の病で苦しもうが、一日でも長く生きていて欲しいと考えるのは、愛というよりエゴイズムからではないかと私自身ふと考えたりします。
しかし、この家族は戸惑いながらも母の決断を受け入れた。
最期の日の3日前、母は夫とスイスへ出発します。到着後、最初で最後の夫婦水入らずの市内観光(彼女が行きたがっていたカフェには具合が悪くなり行けなかったようです)。最後の夜。娘達や友人に宛てた数十通の手紙を書き、夫には死後の引継ぎリストを作り、娘達に頼まれたボイスメッセージも吹き込みます。それら全てを終えた時、今までカメラの前では気丈に振舞ってきた彼女が初めて涙をみせます。
「自分の欲しい言葉を娘達がかけてくれた」「返せるものがないのが悔しい」
そして当日、最期まで繋いでおくと娘達と約束したテレビ電話で、点滴の準備が終わるまで明るく会話。やがてベッドに横になると、医師からの最終確認。いよいよ最期の時、スマホで見守る娘達に繰り返し
「ありがとう、大好きだよ」
「大好きだよママ、ありがとう、またね」
「じゃ、(点滴の)栓開けるね。スイスに行ってもいいと言ってくれてありがとう」
延命措置が常態化している現代社会においては、意識が戻らない相手に感謝の気持ちを伝えること、相手からも最期の言葉を聞くことは困難になっています。最期の時に向けて話し合い、準備をし、家族もその思いを理解しようとする。
「安楽死」それが残されたものにとって生きていく上でどのような意味を持っていくのか。とてもとても考えさせられる問いかけでした。

2024年6月 June

外国人の観光客が多いです。
事務所の隣がヒルトンホテル、向かいがハイアットリージェンシーホテルなので特にそう感じるのかも知れません。ヒルトンホテルのベルデスクなどは、夥しい数のスーツケースが所狭しと並べてあります。チェックイン前やチェックアウト後に寸暇を惜しんで観光に出掛けるのでしょう。桜のシーズンは日本全土がピンク色に染まり、さながら桃源郷とでもパンフレットに紹介されているのでしょうね。欧米のだったらユートピアか(笑)。
過日こんなことがありました。
朝方中央線の電車に5人の外国人グループが乗っていました。母親らしき女性と女の子が座席に、その前には父親らしき男性が赤ちゃんを乗せたベビーカーを、その横にはおそらくおばあちゃん。囲むように日本人の乗客がいました。その人達の冷ややかな視線が、シートに座っている女の子に注がれていることに気が付きました。女の子が土足でシートに。洋画では靴を履いたままベッドに寝そべったりするシーンを見かけることがあるので、彼等は気にしないんでしょうね。
でもここは日本です。私は父親に「Please take off her shoes」と耳打ちをすると、彼は驚いて「Oh, Sorry!」と同時に妻に一言。母親は慌てて女の子の靴を脱がせました。父親は嬉しそうに笑顔で、私に「Thank you so much!」。
以前の自分だったら絶対にありえなかったことです。電車内で外国人が乗っているのを見かけただけで、他の車両に移っていたくらいですから(苦笑)。というのも、髭を生やしているせいか、昔から外国人によく話しかけられました。何を尋ねられているのか、どう返事していいのか…自信がなかったのだと思います。
変われたのは10余年前から始めた英会話レッスンのお陰です。
先生は最初のセスから現在のジャスティンに至るまで5人。ストレスフリーでたわいのない日常生活についての会話です。続けているうちに最初は聴き取れなかった英単語が少しずつ繋がるようになってきて、相手が言っていることさえある程度分かれば、あとは中学生の時から学んできた英単語を並べて返事をする。まあこんな程度ですけど…(笑)。
昨今、瞬時に通訳できる優れものも販売されていますが、やはり生が一番!
先述の外国人達も、何故冷たい視線が自身にむけられているのか注意されるまで気が付かなかったと思います。そういった意味で多少なりとも国際親善に役立ったかも知れません。
そういえば、ニュージーランドに帰国していた4人目の先生マークが来日します。一杯やりながらここでも国際親善に努めます(笑)!

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