ひげ所長のひとりごとArchives

2024年7月 July

ある日曜日の午後、ザ・ノンフィクション「私のママが決めたこと~命と向きあった家族の記録~」が放映されていました。コーヒーを飲みながら気楽に観るような内容ではなさそうでしたので、その時は録画するにとどめました。

内容は、母(44才)が悪性度の高いガンを患い再発を繰り返す中で、日本では合法化されていない安楽死をスイスで行うというもの。脳にまで転移し、耐えがたい痛みで苦しんでいる姿を家族(夫・高3長女・小6次女)に見せたくもないし、暴言を吐いたり、暴力を振るったりするようになるかもしれないと安楽死を決断します。誰にだって、たとえまもなく死ぬとわかっていても一日でも生きながらえたい、最愛の家族とは一分一秒でも一緒にいたいという気持ちがあるのは当然です。全くの憶測ですが、彼女が育ってきた家庭環境は恵まれたものではなく、それゆえ今の家族を大事に思う気持ちは人一番強いからこそ、逆に最期は明るく別れたいと決断できたのではないかと…。

母の決断に対して、2人の娘や夫は頭では理解できたとしても受け入れ難いものでしょう。親や配偶者がどれほど不治の病で苦しもうが、一日でも長く生きていて欲しいと考えるのは、愛というよりエゴイズムからではないかと私自身ふと考えたりします。

しかし、この家族は戸惑いながらも母の決断を受け入れた。

最期の日の3日前、母は夫とスイスへ出発します。到着後、最初で最後の夫婦水入らずの市内観光(彼女が行きたがっていたカフェには具合が悪くなり行けなかったようです)。最後の夜。娘達や友人に宛てた数十通の手紙を書き、夫には死後の引継ぎリストを作り、娘達に頼まれたボイスメッセージも吹き込みます。それら全てを終えた時、今までカメラの前では気丈に振舞ってきた彼女が初めて涙をみせます。

「自分の欲しい言葉を娘達がかけてくれた」「返せるものがないのが悔しい」

そして当日、最期まで繋いでおくと娘達と約束したテレビ電話で、点滴の準備が終わるまで明るく会話。やがてベッドに横になると、医師からの最終確認。いよいよ最期の時、スマホで見守る娘達に繰り返し

「ありがとう、大好きだよ」

「大好きだよママ、ありがとう、またね」

「じゃ、(点滴の)栓開けるね。スイスに行ってもいいと言ってくれてありがとう」

延命措置が常態化している現代社会においては、意識が戻らない相手に感謝の気持ちを伝えること、相手からも最期の言葉を聞くことは困難になっています。最期の時に向けて話し合い、準備をし、家族もその思いを理解しようとする。

「安楽死」それが残されたものにとって生きていく上でどのような意味を持っていくのか。とてもとても考えさせられる問いかけでした。

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